ボクは 駄じゃれが好きである。正確には、好きだった。
しかし、結婚してからは駄じゃれを言うと家内が白い目で見るので、
あまり言わなくなってしまった。
説教の中で駄じゃれを言う人もいるが、
自分は根が真面目なのかあまり出せない。(本当です)
いや、正直言うと、時々受けを狙いたくなる気持ちもある。
でも、受けなかった時が恐いので、小心者のボクは控えてしまう。
しかし、時々持ち前の駄じゃれ精神(そんなのあるか)が顔を出す。
今日、教会でお昼の準備をしていた。
その日はお昼は各自調達の日なので、買い出しに行く人あり、持ち込みあり。
我が家は余り物のスパゲッティー・ソースがあったので、
スパゲッティーを一箱持ってきた。
家内がその時忙しそうだったから、
お腹が空いたボクは自分で茹でることにした。
何を隠そう、スパゲッティーを茹でるのは得意である。
もしかしたら、家内にそうおだてられて、自ら買って出るように仕向けられているだけ、かもしれないが。
とにかく、その日もお湯を沸かして、麺を茹でていた。
真ん中に芯が残るか残らないかで火を止めると、「しこしこ」のアルデンテ!
その時、ふと自問自答。
「なんでボクはスパゲッティーを茹でるのが得意なのか?
それは、牧師だからだ」
なんて、自分で(小声で)言って自分でウケていた。
(側に誰もいなくてよかったよ、まったく)
常々説教の中でしたいと思っているのは、誰も気が付かない洒落やジョーク。
自分だけにしか分からない冗談を言って、心の中でほくそえむ。
(暗いヤツ!)
もしかしたら、一人か二人くらい、数秒してから気が付く。
そんな高度(?)なジョークを言いたい。
(そんな事ばっかり考えているのではありません、念のため)
でも、いい話を思い付いても、まさかそれに合わせて説教を変えるわけはいかない。
だから、その内忘れてしまう。
これではいけない。精神衛生上も良く無い!
せっかくだから書き残そう。
そんなわけで、このコーナーは くだらない駄じゃれや恥をかいたことなど、 いつかは使いたいけどきっとお蔵入りだ と思うことを書き留めるところです。
ついでですが、なんでそれが駄じゃれなのか、なんて質問しないで下さい。
おやじギャグを解説するほど恥ずかしいことはないので。
夜中に肩が痛くて寝付けなかった。
今朝もまだ痛い。
四十肩ではない。五十肩じゃあ、絶対無い!
これはれっきとした筋肉痛である。(威張るな!)
昨日、教会恒例のスポーツ大会に新しい人がたくさん来てくれたので、つい嬉しくなって無理をしたらしい。
ボクは肩が弱い。
生まれつきかは分からないが、親父がスポーツが全くダメなので、小さいときにキャッチボールもしてもらえなかった。
そして自分も親父に似て「運動音痴」である。(決して略して言ってはいけない)
それが、よせば良いのに、高校に入ってから軟式テニスを始めた。
別にカッコが良いからとか、女の子に持てたいから、なんて不純な動機ではない−−男子校だったし。
一つくらいは球技ができるようになりたかったから、だろう。
しかし、やはり下手だった。
ある日、スマッシュの練習をしていた。
レシーブとかボレーとかは、上手とは言わないが、自分ではまあまあと思っていた。
しかし、サーブとかスマッシュなど、肩を使うワザは苦手だ。
でも、運動部だから、そんなことは根性で何とかせねば。
そんなわけで、スマッシュの練習をしていた、その時のこと。
ボールがポーンと上に上がって、落下地点に向かってササッと走っていく。
自慢ではないが、走るの だけ は速い。
的確に落下地点に行って落ちてくるのを待つ。
そして、落ちてくるボールをスパーンと打った−−つもり。
しかし、スパーンではなくスカッ。見事な空振り。(あなた、読んでいて期待したでしょ。)
そして、あろうことか、ボールは頭の上に落ちて弾んだ。
正しい位置にいたことはボールが頭に当たったことで証明される。
タイミングがちょっと悪かった、だけ。
でも、タイミングが悪いと全くダメ なのがスポーツである。
後ろで見ていた先輩は腹を抱えてひっくり返って笑っていた。
以来、やはりスマッシュが苦手で、ボールが上に上がったら、後衛に「まかせたっ」。
おかげで、余計に肩が訓練されなかった。
話がそれたが、とにかく肩が弱い。
バレーボールでも、一日に一回しか使ってはいけない。
ガラスの肩、と言うと聞こえが良いが、使い捨てカメラと同じ一回きり。
それが、つい張り切って、失敗も含めると四、五回はスパイクを打ってしまった。
それで、肩が痛いのである。
それでも、実は喜んでいる。(少女ポリアンナではない。#「パレアナ」と呼ぶ人もいる)
いつもなら2、3日してから痛くなって、やっぱり歳をとると痛みが来るのが遅くなるんだ、と落ち込む。
ところが、今回はすぐに痛くなった。
まだまだ、若いではないか。
なさけない喜びである。
1月16日
手首と足がいたくなってきた。
やっぱり、歳だ。
チェッ
毎日「面白い」ことを書けるとは思わないので、
まあ、時々ですね。(#良いわけしているぞ)
讃美歌や聖歌の歌詞というのは、ほとんど文語で書かれているので、
若い人には分かりづらいかもしれない。
(「若い人」なんて言うこと自体、自分が年寄りだと言っているようなもの)
何を隠そう、僕も子どものころは良く分からない歌詞があった。
それが大人になって意味が分かると、他の人には言わなくて良かった、と思うことがよくある。
聖歌590番2節に、
「さかみちにつよきみてをさしのべ」という歌詞がある。
「坂道に強き御手」と聞いて、
「神様の手は、坂道でも平気な強い手なんだ」(#4WDみたい)
と、考えていた。
本当は、
例え、自分が坂道のような辛い状況にいても、
神様は力強い手をさしのべて助けて下さる、ということ。
子供には、そこまでの深い読みはできるはずがない。
他にも、聖歌490番で
「絶えず主イエスの手によりすがらん」を
「そーか、自分の力ではなくって、
イエス様の手によって、すがっていけばいいんだな。」
これは深読みしすぎ。(#息継ぎの場所が悪かったんだよ)
言葉の勘違いというのは実に良くある話。
「灯台下暗し」というのを
「灯台だって、できる前は暗かったんだ」(灯台、元、暗し?)
と思っていたのは妹です。
ボクもその手の間違いはたくさんあるのだが、
人迷惑な間違いをすることも多い。
分からない事でも、「きっと、こうに違いない」と思って、
それを人に「説明」する。
説明しているうちに自分でも半分くらい納得してくるので、
相手も説得してしまうことがある。
自分は後からあれは間違いだったと気づくが、
相手はもしかしたらそのままかもしれない。
昔、よく妹が犠牲者になった。
最近は家内だが、彼女は手強く、あまりボクを信用していないようである。
一部ではすでに有名な話だが。
長野オリンピックの時のこと(何年前だっけ?)、アメリカでテレビを見ていた。
あまり日本選手のことは放映しないので、しかたなくアメリカ人の競技を見ていた。
すると、アナウンサーがしきりに「ピカブー・ストリート」と言っている。
家内が、よせば良いのに、「ねえ、ピカブー・ストリートって何?」と訊ねてきた。
聞かれたら答えたくなるではありませんか。(ロケット団みたい)
ところで、ピカブーというのは英語で、「いない、いない、バー」のこと。
そこで、ボクは考えた。
ちょうど、その時画面に出ていたのは、スキーヤーが上から坂を滑り降りるのだが、
その坂が波を打ったような形で、選手は画面に現れては隠れ、また現れる、
そんな状況だった。
そうだ、これが、ピカブーに違いない。
その坂が上から下までまっすぐにつながっている。
なるほど、これはストリート(通り)だ。
そこで、今、やっている競技の、別名(ほんとの名前はモーグル?)だ、
真面目に説明してやった。
そのうちに、アナウンサーの話を聞いていると、
どうもピカブー・ストリートというのはアメリカ人の選手の名前であることが判明。
他の種目の選手の名前を関係ないところでしゃべっているアナウンサーがいけないのだが。
また、信用を失った旦那であった。
よせばいいのに、家族の恥でも何でも家内はしゃべってしまう。
(自分だって一度は信じたくせに)
おかげで教会では有名な話になってしまった。
この手の勘違いは数限りなくあるはずだが、
幸か不幸か、ボクはほとんど忘れてしまう。
やはり書き留めておくに限る。
話題の多さでは男性より女性の方が上だ。
なんて言うと性差別だなんて叱られるかもしれない。(#批判されるほど多くの人がここを見ていない、って?)
でも、少なくとも我が家ではそうだ。
大体、ボクは何でも忘れてしまう。
自称、ニワトリ以下の記憶力。
本当か知らんが、ニワトリは三歩歩くと忘れる。
ボクの場合は、立ち上がっただけで忘れる。
一、二歩歩いたら確実に覚えていない。
「あれ、何をしようと思ったんだっけ」
歳をとったせいではない。(#最近ひどさが加速している)
子供の頃から物忘れが多くて、(#幼年性健忘症?)
通信簿にも書かれたことがある。
「忘れ物が多い」
せっかく面白いことを思いついても、一瞬の内に忘れてしまう。(#オーバーだよ)
で、何の話だったっけ?
そうそう、家内は話題が豊富である。
ボクが忘れていることまで、覚えている。
ここに乗せるネタも彼女が思い出させてくれることがよくある。
ちなみに、忘れるけど、ちゃんと思い出すことができるので、
まだ、捨てたものではない。(#えばれない)
我が家の次女のこと。
あれは、2歳くらいのころだったかな。
次女は、意志が強いというか、頑固というか、言い出したら聞かないことがある。
別に我が儘ではない。
最近は親の方が権威があるのが分かったのか、ずいぶん聞き分けが良くなった。
しかし、そのころは大変だった。
長女は結構楽で、どんなにぐずっても、おしゃぶり か だっこで機嫌が直った。
ところが、次女の場合、代用品が利かない。
その彼女がある夜、夜中に急に泣き出した。
どうしたかと思ったら、
「黄色いお花が欲しい!!!」
以前にも、夜中に急に起きて、「シリアル(コーンフレーク)が食べたい」。
そのときは、もうあやすのも面倒なので、
器にシリアルを入れ、牛乳をかけてやった。
そしたら、目は開けているが半分寝ながら、
黙々と食べていた。(#鬼気迫るものがありました、本当)
黄色いお花って、たぶん以前に教会の隣の空き地で
一緒にタンポポを取って遊んだのを覚えていたんだろう。
しかし、我が家のアパートの周りにはそんなの無い。
第一、季節が違った。そのときは、ちょっと肌寒い。
そんなこと説明してやっても、絶対聞かないんだから。
しかも、悪いことに、敵は「ネボケている」。
ボクはパジャマのまま、次女にも何かを羽織らせて、
行きましたよ、外に。
アパートの周りの駐車場を歩き回って、
どこにも花なんか咲いていないのを見せてから、
「ほら、お花、無いでしょ。
今は、夜だから、お花さんも寝ているんだよ。
だから、また明日にしようね」
さすがに、ちょっと寒かったのか、
あるいは、小さいながらもなっとくしたのか、
次女は「うん」と頷いて、ベッドに戻ることができた。
これが、我が家の「黄色いお花」事件です。
他にも「赤と緑と紫の!!!」事件なんてのもあったっけ。
そういえば、長女も夜中に散歩したことがあったな。
あれは留学前に数ヶ月新宿の両親の内に間借りしていた時。
まだ、1歳だった長女は、引っ越し以来情緒不安定だった。
夜中に、突然泣き出して、「お家に帰る」
(正確に描写すると、まだしゃべれないので、遠くを指さして、「あっちにつれてって」と意志表示をするのである)
仕方ないので、娘をだっこして、パジャマのまま外に出た。
近所を歩き回って、しばらくすると、
夜の空気で涼しくなったのか、落ち着いて寝るのである。
そうです。北新宿の住宅街を夜中に子供をだっこして徘徊していたのは、私です。
なんで二人ともこんなだったのかな、と思って、
良く考えたら、実は、ボクも夜中に変なクセがあった。
寝言、である。
(#今でも寝言が多い、と誰かが言っている)
ある時、親戚の内に泊まりにいった夜のこと、
突然夜中に大きな声で言ったそうである。 「うるさいなー、眠れないよ」
うるさいのは自分だって。