第十二篇 歪んだ社会に生きる信仰者の苦悩と嘆き。 表題  聖歌隊の指揮者に。「第八」にあわせて。ダビデの賛歌。 口語<聖歌隊の指揮者によってシェミニテにあわせてうたわせたダビデの歌> 6篇とほぼ同じ 1節  救ってください、主よ、愛に生きる人は絶えたからです、  人の子たちの中から、真実な人々は消え失せたからです。  口語<主よ、お助けください。 神を敬う人は絶え、 忠信な者は人の子らのなかから消えうせました。> 「救ってください」 ヤーシャー → ヨシュア → イエス             ↓           ホシィアー + ナー → ホサナ 「愛に生きる人」 ヘセド(愛、特に変わることのない忠実な愛) 「真実な人々」 ← アムナー → アーメン 2節  彼らはお互いにその友に空しいことを語り、  滑らかなくちびる、二心で語る。  口語<人はみなその隣り人に偽りを語り、 へつらいのくちびると、ふたごころとをもって語る。> 「その友」 友人、あるいは仲間や同族の者。 「空しいこと」 「滑らかなくちびる」 「二心」 *並行関係 A B C // A C B 「空しいことを」      「彼らは語り」    「お互いに」+「その友に」、 | × 「くちびる」+「滑らかな」 「心と」+「心で」   「彼らは語る」 3節  主が断ち切ってくださるように、全ての滑らかな唇を、  大きな事を語る舌を。  口語<主はすべてのへつらいのくちびると、 大きな事を語る舌とを断たれるように。> 「断ち切ってくださるように」 「舌」は単数形だが「大きな事」は複数形 1〜3節の構造 A  主に助けを求める   B  人間から真実が消えた   B’ 人間は偽りで満ちている A’ 主が偽りを滅ぼしてくださるように 4節  彼らは言う、我々の舌によって我々は強い、  我々の唇は我々のものだ、誰が我々の主であろうか。    口語<彼らは言う、「わたしたちは舌をもって勝を得よう、   わたしたちのくちびるはわたしたちのものだ、 だれがわたしたちの主人であるか」と。> 「主」 5節  弱い者たちへの暴力のゆえに、貧しい者たちの嘆きのゆえに、  私は今、立ち上がる、と主は言われる、  私は彼を、彼が喘ぎ望む救いのなかに置こう。   口語<主は言われる、「貧しい者がかすめられ、乏しい者が嘆くゆえに、     わたしはいま立ちあがって、彼らをその慕い求める安全な所に置こう」と。> 「弱い者たち」 「貧しい者たち」 「立ち上がる」 「主は言われる」 「置く」 「喘ぎ望む」 4節、5節は、「彼らは言う」と「主は言う」という形で対照的 6節  主の言葉は清い言葉、  地の上の炉で融かした、七たび浄めた、銀。  口語<主のことばは清き言葉である。 地に設けた炉で練り、七たびきよめた銀のようである。> 「融かす」も「浄める」も、精錬するという意味 7節  あなたです、主よ、あなたは彼らを保ち、彼を守られます、  この時代から、永遠にいたるまで。  口語<主よ、われらを保ち、 とこしえにこの人々から免れさせてください。> 「保ち」と「守り」はどちらも「見守る」 「彼らを」「彼を」 「守られます」は未完了形で、命令的な意味とすると「守ってください」 「この時代から」 1〜7節の構造 1節  A  主に助けを求める       B  人間から真実が消えた(偽りの言葉の描写) 2節    B’ 人間は偽りで満ちている(偽りの言葉の描写) 3節  A’ 主が偽りを滅ぼしてくださるように 4節      C  偽る者たちの傲慢な言葉 5節      C’ 主の救いの約束の言葉 6節    B” 主の言葉の純粋さ(神の言葉の描写) 7節  A” 主は助けてくださる(助けてください?) 1〜4節は偽りの言葉が中心、5〜7節は主の言葉が中心。前半と後半を結びつけているのが、4節5節のコントラスト。 8節  悪しき者たちが歩き回っています、  人の子たちの間では無価値なものが崇められているのです。  口語<卑しい事が人の子のなかにあがめられている時、 悪しき者はいたる所でほしいままに歩いています。> 「歩き回る」 「無価値なもの」 この節を、5〜7節の神への信頼に基づいて現状を見つめ直していると理解することもできるが、詩の流れとしては最後に一般的な状況を述べるのは珍しいことで、7節の約束あるいは願いを弱めることになりかねない。 構造 1〜4節  偽りの言葉 5〜7節  神の真実な言葉 8節    偽りの世界 メッセージ 価値観の歪んだ社会では悪しき者がほしいままに歩き、正しい者が迫害される。信仰者がその価値観を土台として生きるなら、信仰と現状との板挟みになり、常に揺らいでしまう。純粋な、変わることのない神の御言葉によって生きるならば、どんな苦境でも揺るがされない。神への信頼によって目の前のことを受け止められるかが鍵である。 もし、祈りにおいて、信仰によって立ち上がるのでないと、困難が続く。そのような理解のもとでは12篇は解決のないものになる。しかし、13篇が続くことによって救われる。私たちの祈りも時には絶望のような日がある。しかし、それでも祈り続けるなら、恵みによって道が開かれて行く。