第十三篇 終わりのない苦しみからの解放。 表題  聖歌隊の指揮者に。ダビデの賛歌。 口語<聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌> 1節  いつまでですか、主よ、永遠に私を忘れられるのですか、  いつまでですか、私から御顔を背けられるのですか。  口語<主よ、いつまでなのですか。 とこしえにわたしをお忘れになるのですか。 いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。> Q)「いつまでですか」が何回出てきますか。これはどのような印象を与えますか。 (参考:詩篇4:2に二回、74篇に二回、94篇に三回など) Q)神が人を、特に神を信じる者を「永遠に」「忘れる」ことがあるでしょうか。あり得ないとするなら、この言葉はどのような思いを表しているでしょうか。 2節  いつまでですか、私は魂に思い悩みを、日々心に悲しみを置いています、  いつまでですか、私の敵が私の上に高められています。  口語<いつまで、わたしは魂に痛みを負い、 ひねもす心に/悲しみをいだかなければならないのですか。 いつまで敵はわたしの上にあがめられるのですか。> Q)「思い悩み」の原意は「      」(カウンセラー)あるいは「    」 Q)1、2節の詩人の苦しみは? どれが重要? (1)神との関係 (2)自分との関係 (3)他者との関係 3節  見て、私に答えてください、我が神、主よ、  私の目に光を与えて下さい、さもないと私は死の眠りに就いてしまいます。  口語<わが神、主よ、みそなわして、わたしに答え、 わたしの目を明らかにしてください。 さもないと、わたしは死の眠りに陥り、> Q)「見て」は「  」が「      」を見ることで、   具体的には「                」 「答える」は「  」が「       」に答えることで、   具体的には「                」 Q)「我が神」は詩人と神とのどのような関係を示していますか。 「さもないと」 「死の眠りに就く」 4節  さもないと私の敵が言います、「私は彼を負かした」と。  私の仇たちは喜びます、私が動かされることを。      口語<わたしの敵は「わたしは敵に勝った」と言い、 わたしのあだは、わたしの動かされることによって喜ぶでしょう。> Q)詩人が負かされるかもしれないことが、どうして神への訴えの根拠となるでしょう。このことから詩人と神との関係はどうなっているでしょうか。 5、6節  しかし私は、私はあなたのいつくしみに信頼します、  私の心はあなたの救いを喜びます、  私は主に歌います、  彼が私を豊かにあしらわれた、と。   口語<しかしわたしはあなたのいつくしみに信頼し、 わたしの心はあなたの救を喜びます。  主は豊かにわたしをあしらわれたゆえ、 わたしは主にむかって歌います。> 「しかし私は」二重の強調形 Q)「           」ではなく、「                」 「いつくしみ」(ヘセド)と「救い」(イェシュアー) 「喜ぶ」  敵の喜び       詩人の喜び 構造 1〜2節  苦しみの吐露 3〜4節  神への願いと訴え 5〜6節  信仰による宣言 メッセージ 何時終わるか分からないような長い苦しみの中で、神との関係が断絶したかのように感じることがある。詩人はその思いをそのまま神に述べた。「ことばの上のきれいな祈りよりも、かえって真実な悲嘆を神は受納される」(小林師)。祈りは一方通行のように思えても、祈りの中で信仰が生まれ、心が変えられることがある。直接の答えが直ちに与えられないとしても、祈り続けるときに確かに神は働いていてくださる。その信仰によって、目に見える状況はなお暗くても、「それでも私は信じます」と宣言するとき、永遠に続くと思われた苦難は打ち破られるのである。