「なにゆえ」は疑問ではなく、神に従わない者への嘆きと驚き。
「国々+騒ぎ立ち」と「諸民+呟く」は別々ではなく同じ事の言い換え(平行)
「騒ぎ立ち」は、動乱を起こすこと、あるいは空騒ぎ。
「空しい事」、価値(意味)のないこと。
「呟く」は1:2と同語。口ずさむ内容は対照的。→各詩篇は前後と関連
軍事的な反乱である以上に、神に逆らう言葉は無意味な事。
「国々、諸民、王たち、つかさたち」は全世界の人を指す
世界が結束するのは神に逆らう時だけ
彼等が逆らっているのは、人間の王であるだけでなく、神ご自身。
油そそがれた者(マーシーアハ=メシヤ)は、祭司、預言者、王
→キリストは全ての役割を併せ持つ
人々の言葉、原文には括弧は無いが、口調の変化から話者の変化が分かる
「我ら」は人々、「彼等」は神と油注がれた王
「枷」と「縄」は、人々が神の支配を鬱陶しい物と理解している
→神の支配は自由を与え、平安を与えるのに(詩篇23篇)
「砕こう」、神の支配から脱し、自分の好む自由を手に入れること
「笑う」「あざ笑う」は共に楽しい笑いではなく、嘲りの笑い。
神が嘲る? → 擬人法
人々の愚かさは、「天に座する者」=「主」にとって一笑に付されること。
「憤り<激しい怒り」が彼等を恐れさせる
神が立てた王であることを宣言する
シオンはエルサレムを意味する
この節も突然に「私」に変わることで話者が神に変わったことを示す。
3節で人々が「我々は」と語ったことに対して神が語られる。
主の直接の言葉(6節)から、今度は神から受けた言葉を(王が)伝える
王は神の「子」であるとされる。使徒13:33。マタイ3:17、17:5 等の背後。
神が全世界(土地も国・民も)を王に与えると約束。
世界の支配が委ねられている。(本当の王は神)
「嗣業」は神から与えられ、守るべき土地。私有財産とは違う
杖は支配・権力・力の象徴。鉄の杖は強い武器。
神から与えられた力で敵を倒すことが出来る
神が王に約束を与えた事を受けて、諸国の支配者たちに勧告する
神に従うことを促す。
「おののけ」は通常「喜べ」とも訳される言葉。喜びと訳して、神に喜んで仕えることとも考えられるが、前後からは前者の方が良い。
「足」は「子」とも訳せる。しかし7節の「子」とは違う語。口づけは服従。
最後の「幸い」は1章のテーマと関連し、1、2章のまとめ。
王の詩篇(他にも18など)、第一巻「ダビデ集」(主にダビデの作)の緒論
神が立てた王に従うことを教える。即位式か記念行事に読まれたか。
詩篇の五つの「巻」は、モーセの五巻(律法)に倣って。
神が立てたメシア王、ダビデの歌に耳を傾けるように教える。
敵への和解の勧告
王はメシヤ(膏注がれた者)である。その完成者がキリスト。
その意味でキリストの預言となる(使徒13:33など)。