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第二編

私訳と注釈

1〜3節 神の立てた王への反逆

1 なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、
    諸民もまた空しい事を呟くのか。

「なにゆえ」は疑問ではなく、神に従わない者への嘆きと驚き。

「国々+騒ぎ立ち」と「諸民+呟く」は別々ではなく同じ事の言い換え(平行)

「騒ぎ立ち」は、動乱を起こすこと、あるいは空騒ぎ。

「空しい事」、価値(意味)のないこと。

「呟く」は1:2と同語。口ずさむ内容は対照的。→各詩篇は前後と関連

軍事的な反乱である以上に、神に逆らう言葉は無意味な事。


2 地の王たちは立ち構え、
   支配者たちもまた一つに結束する、
    神に逆らって、そして神の油注がれた者に逆らって。

「国々、諸民、王たち、つかさたち」は全世界の人を指す

世界が結束するのは神に逆らう時だけ

彼等が逆らっているのは、人間の王であるだけでなく、神ご自身。

油そそがれた者(マーシーアハ=メシヤ)は、祭司、預言者、王
→キリストは全ての役割を併せ持つ


3 「我らは彼等の枷を砕こう、
   そして彼等の縄を我々から投げ捨てよう」

人々の言葉、原文には括弧は無いが、口調の変化から話者の変化が分かる

「我ら」は人々、「彼等」は神と油注がれた王

「枷」と「縄」は、人々が神の支配を鬱陶しい物と理解している
→神の支配は自由を与え、平安を与えるのに(詩篇23篇)

「砕こう」、神の支配から脱し、自分の好む自由を手に入れること


4〜6 反逆者たちへの神の宣言

4 天に座するお方は笑い、主は彼(ら)をあざ笑う。

「笑う」「あざ笑う」は共に楽しい笑いではなく、嘲りの笑い。
神が嘲る? → 擬人法

人々の愚かさは、「天に座する者」=「主」にとって一笑に付されること。


5 それから怒りを持って彼等に語り、
燃える怒りを持って彼等を震え上がらせる

「憤り<激しい怒り」が彼等を恐れさせる


6 「しかし、私が私の王を立てた、シオン、我が聖なる山に」

神が立てた王であることを宣言する

シオンはエルサレムを意味する

この節も突然に「私」に変わることで話者が神に変わったことを示す。

3節で人々が「我々は」と語ったことに対して神が語られる。


7〜9 王が神から聞いた言葉

7 私は主の詔を述べる、
    彼は私に言われた、「あなたは私の子、
      私は今日、あなたを生んだ」と。

主の直接の言葉(6節)から、今度は神から受けた言葉を(王が)伝える

王は神の「子」であるとされる。使徒13:33。マタイ3:17、17:5 等の背後。


8 「私に求めよ、そうすれば私は与える、
     諸民はあなたの嗣業、また地の果てまでもあなたの所有

神が全世界(土地も国・民も)を王に与えると約束。

世界の支配が委ねられている。(本当の王は神)

「嗣業」は神から与えられ、守るべき土地。私有財産とは違う


9 「あなたは鉄の杖で彼等を砕き、
    陶器師の器のように粉々にする」

杖は支配・権力・力の象徴。鉄の杖は強い武器。

神から与えられた力で敵を倒すことが出来る


10〜12 敵への宣言

10 それゆえ、今、王たちよ、分別を持て、
    諭しを受けよ、地の治政者たちよ

神が王に約束を与えた事を受けて、諸国の支配者たちに勧告する


11 恐れつつ主に仕えよ、震えつつ戦け

神に従うことを促す。

「おののけ」は通常「喜べ」とも訳される言葉。喜びと訳して、神に喜んで仕えることとも考えられるが、前後からは前者の方が良い。


12 足に口づけせよ、さもないと彼は怒り、あなた達は道で滅びる、
     彼の怒りは今にも燃え上がる
   彼に身を避ける者は幸いである。

「足」は「子」とも訳せる。しかし7節の「子」とは違う語。口づけは服従。

最後の「幸い」は1章のテーマと関連し、1、2章のまとめ。




王の詩篇(他にも18など)、第一巻「ダビデ集」(主にダビデの作)の緒論
    神が立てた王に従うことを教える。即位式か記念行事に読まれたか。
    詩篇の五つの「巻」は、モーセの五巻(律法)に倣って。
        神が立てたメシア王、ダビデの歌に耳を傾けるように教える。
        敵への和解の勧告
    王はメシヤ(膏注がれた者)である。その完成者がキリスト。
    その意味でキリストの預言となる(使徒13:33など)。



(c) Tomomichi Chiyozaki 千代崎備道 2003/09
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